クリス-ウェブ佳子さん(以下佳子さん) :両親がともに公務員で忙しく、小学校に入学してからは父が立ち上げた近所の学童保育に通い始め、中学年に上がると放課後は毎日塾通いという、いたって普通の真面目な子どもでした。父だけでなく母も仕事を楽しむ人だったので、女性も働くというのが当たり前という考えで育ちましたし、幼い頃から働くことにはとても憧れがありました。大学では経営を専攻しましたが、ちょうどその頃ニューヨークの音楽に興味を抱き、本場で聴いてみたいという一心で両親には有無を言わせぬまま渡米。休学費用を払い続けてくれた両親の想いとは裏腹に、結局4年半をニューヨークで過ごしました。
音楽のプロモーターとして充実した日々を過ごしていましたが、友人の紹介もあって洋服の仕立て屋でバイトを始めたり、仲間たちと作品撮りをしたりするなかで、徐々にファッションに傾倒していきました。ニューヨークのデザイナーを日本に売り込みたいという熱意だけで一時帰国し、アパレル会社やPR会社に連絡を取るなかで、京都のセレクトショップからオファーをいただき、バイヤーとしての仕事を日本で得ることができたんです。その後しばらくはニューヨークを拠点に海外のファッションウィークへと飛び回り、本格的に帰国したのは22歳の時。しかし翌年には上京し、アパレル会社に再就職。そこから25歳で長女、26歳で次女を出産するという怒涛の流れです(笑)。まさに生き急ぐタイプですね。
仕事で両親が家にいない環境が寂しかったので、次女が幼稚園に入園するまでの4年間は育児に専念すると決めていました。節約生活が板につき、今ほど経済的に豊かではなかったけれど、“お母さん“という役割りに大満足していました。次女が入園し「さぁまた働くぞ!」と思っていた矢先、光文社の女性誌『VERY』の編集長に街で声をかけていただき、28歳から読者モデル、30歳で専属モデルとして今の仕事を本格的に始めることになりました。
佳子さん:島根に一人で暮らす94歳の祖母です。今も電動自転車にも乗るし、カラオケもする。たくさん友人がいて、毎日来客があって、電話をすれば最近の出来事を小一時間、面白おかしく話してくれるんです。祖母には“1日に15人と話す”というモットーがあって。東京にいる私でも実践するのはなかなかなことなのに、祖母はそれを難なくやっちゃう。祖父が亡くなったあとも、毎朝・毎晩きちんと鏡に向かい、髪を巻き、紅をひき、夜はスキンケアをきっちりとする。「今日も忙しかってねぇ」というのが祖母の口癖で、毎日を元気に楽しく生きている女性として尊敬しています。常に掃除をしていて、食事を作っても一緒に座って食べることもない。祖母が座っている姿は仏壇前だけで、ほとんど見たことがありません。でも最近、そんな祖母に似ていると娘たちによく言われるんです。「ママ、座りなよ」って(笑)。
佳子さん:結婚と離婚。そして一番のチャレンジは子育てです。というよりもティーンエイジャーの娘たちとの関係構築かな。終わりのないチャレンジです(笑)。長女が高校3年生なのですが、最近も「大学に行く意味って何?」と尋ねられて。お手本的な回答は用意できているけれど、彼女にとってどう答えてあげるのが一番なのか。それを考えると応じるのもなかなか大変でした。難関大卒だからと言って甘くはない時代。大学に行かずとも目指すことがあるのなら、それに向かって進ませてあげたい。でも、だからと言って最初から「しない」こと、つまり大学に行かないことを選択するのはどうなんだろうと思ったり。
金:やっぱり子育ては大変ですよね。
佳子さん:難しいですよね。2016年の一年間、毎月旅に出かける仕事をしていて、カンボジア行きの日程と長女の学校の体育祭が重なった時は、相当彼女を悲しませてしまいました。しばらく口もきいてもらえなかったほど。ついには長女から「ママは仕事のほうが大事なんでしょ?」という台詞を言われ…。でもショックとともに、実は私そう言われて少し嬉しかったんです。というのも、私も幼少期に同じような疑問を母に抱いていたのですが、私はそれを口に出して言えなかった。言えないままこじらせるだけじゃなく、母を傷つけてしまったんです。だから長女が心の内を吐露してくれた時は、「そうじゃない、そんなこと絶対にないんだよ」と伝える機会を私に与えてくれたことに感謝しました。
金:すごくわかります、その気持ち。23歳で出産して、子供が小学校に入るまでは夫の両親に協力してもらい子育てをして、私は日本と中国を行き来しながら離れ離れで生活をしていました。私が貧しい幼少期を過ごした分、娘にはなんでも詰め込んでしまって…。子供は私が働いていることは不満ではなかったみたいですが、すごく我慢をさせてしまった。ちゃんと親子が本音でぶつかりあうのって難しいですよね。
佳子さん:母は仕事人間でした、というと語弊がありますが、外ではいつも完璧で家にいても仕事の話に没頭する人だったので、私自身が母になったときはバランスを大事に、そして少し “抜けのある”お母さんでいたいなって思ってました。教育って”共育=共に育む”。子どもたちが私をいいお母さんになれるように育ててくれているんです。
離婚後はこれまで以上に働かなきゃと、バランスを崩していたときもあって、その当時は娘たちによく謝っていましたね。「遅くなってごめんね」、「行ってくるね、ごめんね」、「明日も仕事でごめんね」って。そしたら「ママはいつもなんで謝るの?全然悪いことしてないのに」と言われ、思わず泣いてしまいました。「普通の家庭じゃなくてごめんね」と伝えたときも、よその家庭にも色々な事情があることを知っていた娘たちから「普通なんてないんだよ」と慰められたり。長女も次女も、私より一枚も二枚もうわてな気がします(笑)
もう少しで成人になる長女に対してはどこか寂しい気持ちもあります。一緒に暮らせるのもあと少ししかないから、彼女がしたいことは何でもできるようにサポートしてあげたいです。それが大学進学なのか、仕事優先なのかは彼女が決めることだけれど、
それが何にせよ、地盤を固めてあげたいなって。娘たちが私の幸せを自分の幸せと同じくらいに願ってくれるようになったら、もしかしてそれが子育て終了の合図なのかなぁって思います。なんてこと言ってる端から寂しいです(笑)
佳子さん:元気な人は美しい。だから"元気でいること”ですね。そうすれば幸せは自ずと舞い込んでくるものだと思います。さらには幸せって何なのかを考えた時、"幸せにしたい人がいること”なんだって気づきました。気づいたのは離婚直後なんですけどね(笑)。元気で、自分が幸せにしたい人がいる人は、性別問わず美しい。なので、私の祖母は今も変わらず美しいです。
金:気分を高めるために、心掛けていることや習慣を教えてください。
佳子さん:毎晩のスキンケア時間が、一番何も考えずにいられる唯一の贅沢時間なんです。自分の指や肌にフォーカスして、今日の自分を労わって、今夜の肌に何が必要かを考えながら肌に触れることは私にとってとても大切な儀式です。30歳になってモデルを始めるまでは、日焼け止めもスキンケアもほとんどしたことなかったんです。何もしてこなかったし、さらには興味もなかった私にある日、「遅いことはない。今日やれば明日から成果が出る」と友人が教えてくれました。
興味を持ち始めてからは、明日の元気とキレイのために、スキンケアをじっくりとゆっくりと行う時間が大好きです。スキンケア製品も“食”と同じで、成分・生産者・背景を追求するようになりました。根っからの凝り性です(笑)。特に娘から「皮膚も臓器の一部」と教えてもらってからは、肌に良いもの、環境に良いものだけを使うようにしていますし、栄養を与えるのと同じくらい、排除することも意識しています。10代から20代のデジタル世代はスキンケアについても詳しいようで、小学生から日焼け止めをし、中学生ですでにパックやサプリを常用してる子も!若い世代の美容に対するパッションから学ぶことは多いです。
金:スキンケアは体にとってのお食事。美顔器は健康食品の役割。クリニックは薬の役割。整形手術は病院の役割。骨格や形を変えるのは治療が必要ですが、日ごろの体や土台を作るには化粧品やスキンケアがすごく大切。いいものを使っても吸収したり発散したりする自己免疫をあげるためには、健康食品のように美顔器が必要。自分の中である日からそう思えるようになった。毎日美顔器を使う必要はないから、気がむいたときだけ念入りにね。
佳子さん:自分のためだけにお金を使うときは意外と貧乏性なんです(笑)。経験や感じるものに対しては躊躇なくお金を使うんですが、モノとなるとどうしても踏みとどまってしまう。高価であろうがなかろうが、長く大切に使えるもの、ずっと心を寄せて続けられるモノを選ぶようにしています。
金:私も自分が本当に好きで心地よいものが欲しくなってきています。服選びもキレイ可愛いより、素材選びや着心地のよさを重視します。本当にいいものを厳選して、少しだけ持っていたい。知れば知るほど好きになるブランドは、自社のブランドや製品作りのアイディアやインスピレーションにも繋がってくる気がします。本物を探しているひとに、愛されるような存在でいたいです。
佳子さん:洋服のブランドでも、労働体系を考えられていたり、絶滅危惧種の保護だったり、ブランドヒストリーに心を動かされることが多いです。最近は上海発のブランド「ICECLE (アイシクル)」が気になっています。
佳子さん:先の10年を想像するにあたって、これまでの10年間を振り返ってみると、改めて濃密な時間だったなぁと実感します。一昨年の離婚も含め、人生の岐路がいくつもあったなぁと。10年前というと雑誌『VERY』の専属モデルになって、新たなフィールドでもがきながらも必死で努力していた頃。アパレル会社勤務から専業主婦を経て、まさかモデルとして社会復帰をするなんて思ってもいませんでしたから。
でもその当時も今も、結局は私にとって“働く”とは、人の役に立つこと、人のためになること。それにつきます。誰かのためになったとき、初めて幸福感と満足感と承認欲求が満たされます。“人”、それこそが仕事へのモチベーションです。大人になる一番のメリットは、“自分で選べること”だと思うんですよね。頑張ることで手に入れた権利は、周りの人のために使いたい。まるっきり素人だった私をモデルとして育ててくれた、”0”を”1”にしてくれたのが周りの人たち。そこからは自分の頑張りで、今度は私がそんな人たちを幸せにしたいです。
この先もずっと感謝の気持ちを形にしながら、恩返ししていきたいなと思っています。そして10年後は、回遊魚のようにずっと動いていたい性格なので、ゆっくりする自分を受け入れられるようになっていたら良いなって思います。